>>147 そういうこだわりもまたアナログ時代からあるもので、結局のところ、体調も含めて、スピーカーだって、置き場所どころか、湿度によっても音がかわってきてしまったりもする。
どこかそういう絶対的な固定のできない、生き物的発送をしていないと迷路にはまるし、
その変化に対応すること、あるいは変化そのものを楽しめないと苦しくなってしまう。
とはいえ、いつでも自分の納得のいく音が鳴っていないと不満足であるということも理解出来る。
よくある方法は、グライコの活用。
これはピュアオーディオを求める人にとっては、批判の的だが、つまらない「こだわり」を捨てられるだけの状態になり使い出すと結構楽しい。
むしろ、音作りの方が聴くことよりも楽しくなって来てしまう。
次は違う種類、グレードのスピーカーシステムをアンプにつないで、使い分けること。
自分はひとつはそれなりの音のするもの、もうひとつはメリハリの強くオーディオマニアからは批判がくるものの、聞いていても面白いものをつないでいたりする。
そうすると、切り替えたときに、グレードのよさが分ったり、逆ならば「造られたメリハリ音も結構いけるじゃないか」などと面白い発見があったりする。
音でいえるのは、基本的には相対的であるということだと思う。
結局、AよりBが音がよいので「B]が音が良いということであり、当然探せばBよりも音のよいものというのはこの世にはある。
そこのところを、資金と手間と好奇心で、どこで終わりにしておくかという話なのだと思う。
変な話、自分などもは、一度ある意味満足できる音が完成すると、それで終わりかというと、
わざと何かを変えて、そこから、また満足できる形にするまで試行錯誤するという・・・結局のところのその作業そのものが楽しいのだな、などと思ったりしている。
ただ、本当にもう、年齢とともに、耳の周波数も変わるし、好みも変わるし、一生固定できるシステムも音源もきっとないだろうな。
テクノロジーも変化するし。
その意味で、今147のやっていることは、正にそのこと自体に楽しさがあると思うね。
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